「悔しい」という感情は本気を出したご褒美

僕にとってかっこいい大人はふと思いついちゃったり

浮かんでしまったアイデアやインスピレーションを

「思いついちゃったんだもんなぁ」と興奮と憂鬱さの狭間で

ニヤニヤ笑いながら現実の形にするまでやり切る大人たち、セカイを創る人たちです。

僕はそんな大人でありたいと思うし、それなりにそういう力を

身につけてきたと思ってたのですが、先日とあるカッコいい大人達に出会いまして

ハンカチを噛み切るほど(笑)悔しい気持ちになりました。

今の自分がものすごくダサく思えるほどに

彼らの生き方と作り出す現実はかっこいい。

混沌と秩序の中に、生と自由を模索し続けるアーティスト。

あぁ。負けたくねぇなぁ。悔しいなぁ。

そんな感情が湧いてきたのはとても久しぶりのことで、

僕は本気で悔しかったのですが、同時に嬉しい気持ちもあることに気づきました。

何よりもビジョンを共有できる仲間がいるという歓び

そして、この悔しさがあるということは、

自分はまだまだ成長できるということであり、

本気を出してきたからこそ、悔しい気持ちになるのだな、

この感情は本気を出してきたご褒美だなと思ったのです。

悔しいという感情はプライドが邪魔して避けがちだけど

意図的に悔しい思いをしたほうがいいなと思うぐらいです(笑)

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